妻の千恵香は周りの皆を一瞬でパ〜っと明るい雰囲気にして元気を与える人。人を惹き付ける魅力があって、一瞬で人をトリコにしてしまう不思議なパワーを持っていました。
人が集まるといつの間にか話題の中心になり盛り上げ役に。そしてみんなを笑いの渦にして幸せな気持ちにさせてしまいます。
パワフル、ポジティブ、前向きでおっちょこちょい。身体を動かすことが好きで、人前に出ることが好き、スポーツ好き。声が大きくて、テンションが高くて、いつも笑顔。でも周りのことが見えていなくてトンチンカンなこともしばしば。
勝浦友人宅のパーティーに招かれてフラダンスを披露。自分に陶酔するあまりスカートが徐々にズリ落ちてくる。周りをヒヤヒヤさせながら踊り続けてついに禁断の下着まで達し、でもそんなのお構いなしに踊り続ける千恵香。まわりの仲間にスカートをズリあげてもらい、なんとかしめくくる。↓はハプニング後の動画です。
初めてあったその日から気持ちを通じ合え親しい友だちになってしまう。いつ知り合ったのか?遠方にいるとか?どこで知り合ったのかは関係なく。そんなこともあり、性別を問わず心の通う友達がとても多いです。
海の仲間、スノボ関係、フラダンス、英会話、水泳、和太鼓などなど。ジムの更衣室で知り合った方や、最近ではガン友も大勢。もうどこでも人が寄ってきてすぐに親しくなってしまいます。年齢も幅広く、子供からお年寄りの方まで交友関係が広いのには本当に驚きます。
子どもたちが通っていた保育園のメンバーで、毎年恒例でスキースノボー合宿を行っているのですが、長女が卒園にした頃からかれこれ10年以上続いていて、実は今シーズンも皆で集まって開催しました。
今回の闘病生活の間でも、北海道や九州など遠方の友人から手紙が贈り物が届いたとき、「ガンになるといろいろ貰い物が多くなるんだね。でもどうやってこの恩を返そう?元気になってから何かのかたちで恩返しすれば良いよね?」とよく話していました。
がん研有明病院に入院している時にも、数日の間でも親密な関係になった方がいて、よく手紙が届いていました。4人の大部屋に入院した時にも、それまでは他の患者さん同士では挨拶程度くらいしか話はしていなかったそうですが、家内が入院するや否や、皆でいっしょに話す機会が増えて、団らんルームで皆で食事をするようになったそうです。その患者さんも重篤な状況でしたが、心を開いて置かれている状況のことや明るい希望について話が弾み、消灯まで話が盛り上がったこともあったそうです。
家内とはウィンドサーフィンを通じて知り合いました。当時のショップの店長に御前崎というウィンドサーフィンのメッカに誘われたのがきっかけでした。そこは荒れ狂った風と波と潮流で、見るからに地獄絵図の荒海です。
わたくしも最初にこの海に出る時には生きた心地がしませんでした。しかし通い詰めるちに次第に地獄が天国に一転。恐怖はあるものの、波に乗ったりハイジャンプができた時の絶叫は他のどんなスポーツでも味わえない感動の世界。許された人しか入ることができない禁断のエリアです。
この御前崎に店長のハイエースで一緒に連れて行ってもらいました。たまたまハイエースの後部座席に2人で座った時に、初めて交わした会話を今でも鮮明に覚えています。
「ちゎー!チエカさんですよね。噂に聞いているんでチエカさんのこと色々知ってますよ〜」
「えっ!なにそれ〜何知ってるの?ゲラゲラゲラ〜!なんで『わだっち』って言うの?和田だから『わだっち』なんだ〜。(何がうけたのか?大うけして)ゲラゲラゲラ〜」それが初めて交わした会話でした。
年上なうえにウィンドサーフィンでは先輩なこともあり、千恵香に対しきちんと敬語を使っていました。「千恵香さん」と。「千恵香さん」はわたくしには「ワダッチ」の呼び捨て。「ワダッチ、ちょっとダウン引いてくれない?」(セールのロープを締めること)とか、上下関係が完全にできていて、もちろん千恵香先輩が上、わたくしが下でした。
それから、私から毎日のように「ちょっと時間作れない?」と連絡をし、お互いの仕事が終わってからちょこちょこ会うことになりました。ウィンド以外のことでも、自然が好きだったり山が好きだったり、共通点があることがわかりました。潮の匂いのする狭い車の中で、いつまで話しても話題は尽きませんでした。
明るくて笑顔が素敵で、いっしょにいると居心地が良くて、その時に「一緒になるのはこの女性だな」と感じました。そして、自然の流れで一緒に生活をすることになりました。
事故車のエンジンを別の車両に載せ替えて組み立てたハイエースを25万円で購入し、このオンボロのハイエースで色々はビーチに行きました。調子はもうめちゃくちゃ悪い。エンジンがかかるまでに10分以上セルを回さないとエンジンがかからなくて、早朝からうるさいし、排気ガスで周りはひどい悪臭になってしまいます。ご近所様ご迷惑をおかけしました。
マンションの近くの空き地に勝手に駐めて、本当によい迷惑。でもご近所の方が良い方ばかりで、その隣にはかの有名なオリンピック選手の今井雅子さんのご実家があったり、お母様はこんな私にも挨拶をしてくださいました。
このブログを見てくださった今井雅子さんから昔住んでいたアパートの写真をいただきました。そうそう、この幾何学的な建物です。懐かしい。ウィンドの道具と2人分の生活品で狭い部屋はもうヒッチャカメッチャカ状態。
ここは高知の柏島。もうオーバーセールは半端ない。千恵香と共有していたのセイルは1セットしかありませんでしたので、千恵香が4.2㎡の時には私は4.7㎡、4.7㎡の時には私は5.2㎡と、わたくしに選択肢はありませんでした。オーバーセールに強い千恵香に合わせていたので、いつも私は激オーバーの状態でした。そんな過酷な状況でも、いつも千恵香はニコニコ顔で楽しんでいました。珍しい2ショット写真。ローカルの方に撮影してもらいました。高知の方は人懐っこくて良い人ばかり。
ここは館山北条海岸ですね。ここも通いました。西日が綺麗で海の色が青く、千恵香のお気に入りのビーチ。テトラに付いている生牡蠣をよく食べたものです。しかも真夏に。
ここは富津かな?昼食の時間以外、朝の6時から夕方の6時まで、2人で12時間連続でプレーニングしたビーチです。
こんな狭い車の中で車中泊してどこでも行きました。狭くて頭をぶつけた瞬間。
浦賀水道で素潜り。寝起きのスズキをバシッとひと突き。
海や山中心のライフスタイルや、車中泊で東奔西走するのは今も変わりません。つい数日前のことのようですべてのことを鮮明に覚えています。
千恵香とは些細な喧嘩するけれど一緒になってからも話が尽きることはなく、ずっとしゃべりっぱなし。海のこと、将来のこと、夢のこと、仕事のこと、子供のこと、家族のこと、もういつまでも尽きることはなく。
千恵香とはもう会話はできませんし、助手席に乗せて海に行くこともできなくなってしまいました。でも画像や動画を見れば、声や仕草で千恵香のことを思い出すことができます。動画を見て千恵香の声を聞くだけで嬉しくなってきます。