最愛の妻、千恵香は転移している肝臓ガンが大きくなり肝不全を起こしていました。肺にも転移していて酷い咳が止まらなく自宅で使っている酸素吸入器でも対処できなくなり、黄疸もありトイレに行くことも寝返りをうつこともできなくなりました。そして3月28日の早朝に急遽入院となりました。
入院しても状況は悪くなるばかりで1日目は常薬の麻薬で激痛を凌ぐことはできたものの、2日目からは麻薬のペースも次第に早くなってきました。昨晩の夕方から麻薬では痛みを抑えられずモルヒネを皮下注射することになりました。それでも1時間ほどしか持たず3〜4回打ったと思います。
2日目にちょうど長女の卒業式があり私のみ出席することになりました。卒業式が終わったあとに看護婦さんが撮影した画像で、この時にはまだコミュニケーションがとれる状態で、血圧も90ほど、酸素濃度も96ほどを保っていました。
夕方になるにつれ刻一刻と状況は悪い方向に。血圧は90から60代に下がり、激痛に耐えかねモルヒネを使うことになりました。呼吸も次第に荒くなり、手足が冷えてきてしまいました。「苦しい、しんどい」「しんどすぎる」と何度言ったことか?
千恵香は緩和ケア病棟に入ってからでも、「ガリガリに痩せてしまった人でも生還できた人がいるから、自分も治す」と言って、最後の最後まで諦めませんでした。そして最後まで頑張り通しました。
面会を希望する方には、家内の体調を気遣って本日以降にしてもらうようお願いしていましたが、夜になってから危篤な状態になり和太鼓関係や会社スタッフなど面会予定の方に声を掛け、夜遅くに駆けつけてもらいました。
最後は血圧も脈も血中酸素濃度も、すべて計測できないほど弱いものになってきてしまいました。冷たくなっていく手足を、家族と駆けつけた友人たちの手でさすって温めました。呼吸が止まりそうになると「吸って〜吐いて〜」と一緒にリズムを合わせて呼吸を促しました。
そして、最愛の家内は家族と駆けつけた友人に囲まれて、夜11時に息を引き取りました。
海関係の友人や職場のスタッフ、親戚の皆様、友人の皆様、連絡が遅れてしまって本当に申し訳ございませんでした。
いるだけで周りを明るい雰囲気にして、性別関係なく友達が多くて、前向きで、一瞬で人をトリコにしてしまう。わたくしが苦手なことや足りないところをカバーしてくれる、そんなかけがえのない女性です。
家内とはこれからの将来のことについてよく話をしていました。これからの人生のこと、60代、70代、80代、どうやって過ごすのか?海のスポーツは体力的にいつ頃までできるのか?サーフィンができなくなったら次に何をして楽しもうか?行ったことのない海外にも行ってみたい。仕事は?会社はどうするのか?家族のことなど、夢や目標のことをよく話していました。
「これは悪い夢であってほしい、早くこの長い悪夢がさめてもらいたい」この思いで1年間を過ごしてきました。
イカやヒラメを釣ってきても、満面の笑みで喜んでくれる人がもういなくなってしまいました。これから自分はどのような人生観をもって生きていけばよいのか?何を心の拠り所にすれば良いのか?すべてがひっくり返ってしまいました。
今家内は三鷹の自宅に帰ってきています。千恵香はまるで生きているような安らかな笑顔をしています。
本日は奇しくもマウイ島への家族旅行の予定日でした。家内がもっとも大切にしていること。それは「家族との想い出を作ること」です。今回の旅行はキャンセルとなってしまいましたが、家族とのたくさんの想い出を胸いっぱいに、独り先に旅立っていきました。
お通夜と告別式は今住んでいる三鷹で行う予定です。詳しいことが決まりましたら連絡いたします。